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大阪地方裁判所堺支部 昭和48年(ワ)318号 判決

主文

原告所有の松原市上田七丁目一九三番、宅地一八八・四二平方米と引受参加人所有の同市上田七丁目一九一番三、宅地五〇・七六平方米との境界は、別紙図面(ロ)点(現存ブロツク塀の南側の線と松原市明示線の交点)から右ブロツク塀の南壁面に沿つて西方に(ハ)点(別紙図面)に至り、右(ロ)、(ハ)の両点を結ぶ直線の延長線が別紙図面(ホ)、(ヘ)の両点を直線で結んだ線と交わる点を(ヌ)点(別紙図面)とし、右(ロ)、(ヌ)の両点を直線で結んだ線であることを確定する。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用四分し、その三を原告の、その余を参加引受人堀内実、被告東和建設株式会社の各負担とする。

事実

第一、当事者の求める裁判

一、請求の趣旨

1  原告所有の松原市上田七丁目一九三番、宅地一八八・四二平方米と参加引受人堀内実所有の同市上田一九一番三、宅地五〇・七六平方米の境界は、別紙図面(イ)、(ヘ)の両点を直線で結ぶ線であることを確定する。

2  参加引受人堀内実、被告東和建設株式会社の両名は、別紙図面、(イ)、(ロ)、(ハ)、(ニ)、(ホ)、(ヘ)および(イ)の各点を順次直線で結んだ範囲内の土地二八・五八平方米は原告の所有であることを確認し、参加引受人堀内実は右土地上に所有する別紙目録記載の建物を収去してこれを明渡せ。

3  被告東和建設株式会社は、本訴状送達の翌日から昭和四八年一〇月二一日まで、参加引受人堀内実は同年一〇月二二日から前項の明渡ずみまでそれぞれ一か月当り金九、〇〇〇円の割合による金員を支払え。

4  訴訟費用は参加引受人堀内実、被告東和建設株式会社らの負担とする。

5  前記第2ないし第4項につき仮執行の宣言

二、請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二、当事者の主張

一、請求原因等

1  原告所有の松原市上田七丁目一九三番地、宅地一八八・四二平方米(以下、単に「一九三の土地」という)は登記簿上は訴外亡松野逸治名義になつているが、同人は昭和二〇年六月二五日死亡し、原告が家督相続によつてその地位を承継し、現に右土地の所有者であり、同市上田七丁目一九一番地の三、宅地二三八・三七平方米(以下単に「一九一の三の土地」という)は、もと訴外松野末吉の所有であつたが、脱退被告がこれを昭和四七年一二月二〇日に買受け、次いで本訴提起後の昭和四八年一〇月一日にその一部である五〇・七六平方米を分筆後の一九一番地の三の土地(以下「分筆後の一九一の三の土地」という)として引受参加人が脱退被告より買受け現にその所有者であり、同土地の北側に一九三の土地が隣接している。

2  ところで、引受参加人、脱退被告らは、一九三の土地と一九一の三の土地(もしくは分筆後の一九一の三の土地)の両土地の境界線は、別紙図面(ロ)、(ハ)、(ニ)、および(ホ)の各点を順次直線で結んだ線であると主張して譲らないが、右両土地の境界線は同図面(イ)、(ヘ)の両点を直線で結んだ線である。すなわち、

(一) 昭和三五年頃、別紙図面(イ)点に一九一の三の土地の前々所有者である訴外松野末吉自身が境界石を示すべき石を存置した。もつともこの石は被告会社が一九一の三の土地上に建築工事をなす際移動させたが、原告は右境界石を証拠保全のため現に保管している。

(二) 同図面(イ)、(ヘ)、(ト)、(チ)、(リ)および(イ)の各点を順次直線で結んだ範囲内の土地は、訴外松野末吉が戦後の自作農創設特別措置法(以下、「自創法」という)の規定によつて売渡を受けるまでは訴外藤本亀蔵の所有地であつて、大正一三、四年頃、右松野が分家をするに当つて右藤本より前記範囲の土地を借用したものであるが、当時、同図面(イ)、(ヘ)の両点を直線で結んだ線を基準としてその南側と北側の両土地の間には約三〇―四〇糎の高低の段差があつて、右借地部分が低地であつたので、右松野においてその頃地盛りをしたうえ、右借地上に居宅を建築したのであり、その母屋の雨だれ線が同図面の(イ)、(ヘ)の両点を直線で結んだ線にも一致していた。

三  同図面(イ)、(ロ)、(ハ)、(ニ)、(ホ)、(ヘ)および(イ)の各点を順次直線で結んだ範囲内の土地二八・五八平方米(以下、単に「本件係争地」という)は、従前非常用の通路(私道)に併せられていたものであり、通路として殆んど利用されなくなつてからは、原告の亡夫徳松が右土地部分にトタンの屋蓋を設けて大工の作業場として使用していたが、その後空地となり、今次大戦中に前記松野末吉が同所に無断で樹木を植栽してこれを不法占有するに至つたのである。戦後、原告の三男の松野十四男が右事実を発見して右松野末吉にその不法を難詰したが、同人は家相の関係でやつたことであり、樹木のことでもあるので暫くこのまま放置されたい、必要なときはいつでも切除する旨弁明したので、親戚の間柄でもあるので一応これを諒として強行策に出なかつたのである。

(四) 訴外松野末吉が訴外藤本亀蔵から借用していた前記(二)記載の範囲の土地は、正確には松原市上田七丁目一九一番地の一の一部と同市上田七丁目一九八番地の三の一部に該当していたものであるが、自創法によりなされた右両土地の買収処分ならびに右訴外人に対する売渡処分は、誤つてこれを一九一番地の一の土地として実施された。そこで、その後の売渡手続で右誤りに気付いたのか、前記一九八番地の三の土地部分を除き一九一番地の一の土地部分のみが買収、売渡処分の対象地の如く糊塗し、しかし、坪数のみは右訴外人が現実に占有していた土地の実坪数七二・一一坪に合わせて、同訴外人が占有しない本件係争地の一部にまではみ出し総坪数が七二・一一坪になるような図面(甲第五号証の二)を作成し、該土地部分を一九一番地の一土地から分筆して一九一の三の土地となし、これを右訴外人に売渡したようにして辻褄を合わせたのである。しかし、何れにしても前記買収、売渡処分は、右訴外人が現実に占有していた一九八番地の三の土地部分を含む七二・一一坪を対象としたことは明らかであり、この坪数は別紙図面(イ)、(ヘ)、(ト)、(チ)、(リ)および(イ)の各点を順次直線で結んだ範囲の土地の実坪数とほぼ一致しており、従来より右訴外人が占有していた土地部分は同図面(イ)、(へ)の両点を直線で結んだ線(原告の主張する境界線)から南側であることを如実に示すものである。してみると、一九一の三の土地に出坪がある筈はなく、従つて参加引受人らの主張するように本件係争地も一九一の三の土地に属するとすれば約九坪もの出坪があることになり、右主張が不当なることは明らかである。

(五) 一九三の土地の西に隣接する一九二番地の土地の南東の角はほぼ別紙図面(ホ)点にあり、法務局備付の地積図によれば、一九三の土地の南西の角は右(ホ)より南方の地点にあることになつている。しかるに、参加引受人ら主張の如く一九三の土地と一九一の三の土地の境界線が同図面(ロ)、(ハ)、(ニ)、および(ホ)の各点を順次直線で結んだ線であるとすれば、一九三の土地と前記一九二番地の土地の各南側の東西の境界線は一本の直線でつながつていなければならないことになり、参加引受人らの主張する境界線は明らかに間違つていることになる。

3 被告会社は脱退被告から一九一の三の土地を借用し、同地と本件係争地にまたがつて別紙目録記載の建物を建築し、同建物は本訴提起後に被告会社から引受参加人に譲渡され、昭和四八年一〇月二二日付で右引受参加人のため保存登記手続がなされたものであるが、被告会社も参加引受人同様に本件係争地は一九一の三の土地に属すると主張して譲らない。

4 参加引受人らの時効取得の抗弁は否認する。すなわち、訴外松野末吉が自創法の規定により売渡を受けたのは昭和二三年一〇月二日でなく昭和三二年五月三一日であつて、参加引受人らの主張は先ず時効の起算日を誤つている。のみならず、右訴外人が本件係争地を占有していたのはその四分の一程度に過ぎない一部分で、その余の部分は原告方で物干場等に利用してきたのであり、右訴外人の占有は所有の意思によるものとはいえず、仮りにそうでないとしても悪意の占有ないしは過失ある占有である。

5 よつて、原告は請求の趣旨記載のとおりの裁判を求める。

二、引受参加人、被告会社らの請求原因に対する答弁等

1  請求原因1の事実中、原告が家督相続した事実は知らないが、その余の事実ならびに同3の事実は認める。

2  一九三の土地と一九一の三の土地との境界線は別紙図面(ロ)、(ハ)、(ニ)および(ホ)の各点を順次直線で結んだ線である。すなわち

(一) 本件係争地が原告所有の一九三の土地に属するとの主張は原告側から本件訴訟の提起されるまで全くなく、逆に一九一の三の土地のもと所有者であつた訴外松野末吉は、右土地部分を一九一の三の土地に属するものとして、これを主に前栽として占有使用してきたものであつて、原告の主張するような通路であつたり、原告が占有したことはなかつたのである。

(二) 原告の息子である訴外松野十四男は、昭和四三年頃、別紙図面(ロ)、(ハ)および(ニ)の各点を順次直線で結んだ線上の従前よりあつた土塀の跡にブロック塀を構築したが、一般に塀は境界線上に作るものである。

(三) 右訴外人が訴外松野末吉は本件係争地を売つてくれと申入れた事実がある。

(四) 一九一の三の土地は、もと訴外藤本亀蔵所有の一九一ノ一の土地の一部と一九八の三の土地の一部に該当し、これを右訴外人から訴外松野末吉が大正一二~一三年頃に賃借し、同地上に建物を建てて占有してきたものであるところ、右訴外松野は、戦後、前記借地部分を自創法によつて売渡処分を受け、分筆のうえ一九一の三の土地としてこれが所有権を取得するに至つた。ところが、後日、右訴外人が取得した土地の一部に前記藤本亀蔵の相続人である訴外藤本実三名義の一九八番地の三の土地の一部が含まれていることが判明したため、訴外松野末吉と同藤本実三間で協議のうえ、訴外松野末吉が占有する一九八番地の三の土地部分を一九八番地の四に分筆し、逆に一九一の三の土地の西側部分を一九一番地の四に分筆し、これを右一九八の四の土地と交換したうえ、一九八番地の四を一九一の三に合筆し、訴外松野末吉はこれを脱退被告に売却した。一九一の三の土地は登記簿上二三八・三七平方米(七二・一一坪)あることになつているが、その実測面積は当初より二五九・八三平方米あつて、所謂出坪が約六・五坪あるのである。公簿面積と実測面積に誤差があるのは、訴外松野末吉が自創法により売渡を受けるに際し、借地面積が七二・一一坪となつていたため、そのままその数字で払下げの申出をし(既にこの時点で右数字は実測面積と異なつていたことになる)、その後約九年経過して松原市が農地解放した土地の分筆手続等が遅れていたことから急拠その手続を行つたのであるが、その際に作成した分筆測量図は極めて杜撰なもので、全て届出面積に合わせて図面を作成したので、実測面積と公簿面積とが不一致をみるに至つたのである(なお、松原市ではこのような例が他にも発生している)。そして、一九一の三の土地を取得した脱退被告は、一九一の三の土地から一九一番地の五ないし七の各土地を分筆したが、右分筆に際しては一九一番地の五ないし七の各土地については実測のうえ実測どおりの登記を行なつたので、現在では分筆後の一九一の三の土地が所謂残地となつて、登記簿上は五〇・七六平方米となつているが、実際は約二一・五六平方米(六・五坪)の出坪を有しているのである。

(五) 一九三の土地は登記簿上一八八・四二平方米であるが、本件境界を引受参加人らの主張どおりとしてもその実測面積は二四四・二七平方米であつて既に五五・八五平方米(一六・九二坪)の出坪を有することになる。

(六) 原告が援用している図面(甲第五号証の二)によれば、一九三の土地と一九一の三の土地の境界線はかぎ型になつているばかりか、一九三の土地とその西側に隣接する一九二番地の土地の各南側の境界線は一本の直線でつながつており、このことは境界線についての引受参加人らの主張が正しいことを示すものである。もつとも、右図面の作成が実測せずに作成したものである点は極めて杜撰であることは前述したとおりであるが、少なくとも土地の形状に合わせて作成されており、本件境界がかぎ型をなしていることは右図面によつて証明される。

3  仮りに、引受参加人らの主張が認められず、一九三の土地と一九一の三の土地との境界が原告主張のとおりであるとしても、本件係争地は、訴外松野末吉において昭和二三年一〇月二日から自己のものとして平穏かつ公然に利用占有してきており、当然右訴外人は当初自己のものと信じていた。従つて、右訴外人は昭和三三年一〇月二日時効により右係争地の所有権を取得したので、引受参加人らは、第二三回口頭弁論期日で右時効を援用する。

第三、証拠(省略)

(別紙)

目録

松原市上田七丁目一九一番三

家屋番号 同町一九一番三

一、木造瓦葺二階建居宅 一階 三八・四九平方米

二階 三一・四六平方米

但し、右の内、別紙図面の赤斜線部分の一六・五一平方米

(編注 赤斜線部分はリーダー斜線とする。)

別紙図面

〈省略〉

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